当サイトは記事内に広告を含む場合があります。

浅田美代子さん母の死去も離婚も乗り越えた現在

赤い風船 エンタメ

残念ながら終了してしまいましたが「さんまのからくりTV」で、20年以上レギュラー回答者として、その天然キャラで番組を大いに盛り上げてくれた浅田美代子さん。

その後も、バラエティやドラマで活躍されていますが、今回は明るい笑顔の裏で浅田さんが乗り越えてきた離婚や愛する家族との別れなど、プライベートについて調べてみました。

 

スポンサーリンク

浅田美代子さんのざっくりプロフィール

 

生年月日:1956年2月15日
出身:東京都港区
身長:157cm
学歴:東京女学館中学→東京女学館高校中退

1973年 ドラマ「時間ですよ」でデビュー。

高校2年生のときにスカウトされ、同番組の新人オーディションに参加。約25,000人の中から選ばれデビューを果たしました。

ドラマ劇中歌の「赤い風船」が大ヒットし一躍アイドルになりましたが、同時に“歌唱レベルの低さ”も話題になりました。

1977年 フォークシンガーの吉田拓郎さんと結婚し芸能界を引退。

交際当時吉田拓郎さんは結婚していたため、「略奪婚」と騒がれました。

1983年 吉田拓郎さんと離婚。

吉田拓郎さんは、離婚する前からその後結婚することとなる森下愛子さんと交際をはじめていましたので、浅田さんにとっては、今度は「略奪婚」されることになったわけですね。

離婚後、芸能界に復帰し現在に至っています。

 


スポンサーリンク

 

母親は急性白血病だった

浅田美代子さんが通った東京女学館中学、東京女学館高校は、学費が高いことでも有名なお嬢様学校で、浅田さんの実家は自動車修理工場を経営し2つの工場を持っていたということですから、裕福な家庭で育ったと思われます。

すでに両親はともに亡くなられています。母親の上田順子さんは2001年12月19日に、東京都内の病院で亡くなりました。享年70歳でした。関係者によると、順子さんは2000年4月に急性白血病のため都内の病院に入院して治療を続けていましたが、風邪をひき肺炎を併発して亡くなったということです。
浅田さんご自身は最愛の母の最期を看取ることができたといいます。

浅田美代子さんと言えば、愛犬家で動物愛護活動でも有名ですが、母親が亡くなったときにも、愛犬の存在が精神的に大きな支えになったそうです。

 

まとめ

 

最近の若い方は、天然キャラのおもしろい女優さん、タレントさんというイメージが強いと思いますが、デビュー当時は知らない人がいないくらいのスーパーアイドルでした。
当時をリアルで知っている私としては、一旦芸能界から引退というブランクもありながら、「外見、内面ともかわいらしさが、かわらないなぁ」とただただ感心します。
これからも、ファンを楽しませてほしいですね。